とある投げ銭ライブで、これを撮っていたら、ある方から「えげつない」とすごく嫌な顔をされました。その時は、え?何でそんな事言うのかな?って全然わからなくて、ずっとモヤモヤを抱えていたのですが…最近になって、ようやくその違和感に気がつきました。
きっとその方は、そんなに深くは考えていなかったとは思いますが、お金をえげつないもの、ひょっとして、不浄なものだと、心のどこかで思っていらっしゃったのかも知れません。もしかしたら、その方以外にも、お金をタブー視されてる方は多いのかも知れません。
私にとってのお金は、生きていくために必要なものを買うためのものであり、心が豊かになるために使うものであり、時には困っている人を助けるために循環させるものであったり、人と楽しく過ごすためだったり、お祝いしたりお悔やみだったり…生活の中で大切なものだと思っています。そして、そのお金は、自分で一生懸命働いて稼いだものだったり、想いとともに受け取ったりするもので、えげつなかったり不浄なものではないです。えげつないお金とは、人を騙したり、インチキしたりして手に入れたものではないのでしょうか?幸い、私のお財布の中には、そういうお金は1円だって入っていません。それは、私だけでなく、ほとんどの方がそうなのではないかと思うのです。
そして、この時の投げ銭には、不浄なお金は1円もなかったと思います。この缶の中には、楽しかったライブに対しての感謝の気持ち、そのアーティストを応援する気持ちなど、色んな『愛』がたっぷり詰まっていたのだと思います。多分、私はその時、そのエネルギーに対して、シャッターを切ったんだなぁ…。(感覚的にいつも撮ってるので、その時に理由まで考えてる余裕がないのです。)少なくとも「お客さんに愛されてるなー、凄いなー!」と、リスペクトの気持ちがあったのは間違いありません。
実は、ふとしたきっかけで、お金には愛のエネルギーが乗っているんだと、最近気づいたのです。
家族のために働いて稼ぐお金、孫や甥や姪のためのお年玉、幸せを願うご祝儀、恋人たちのデート代、募金、その他いろいろ…
そこには、ポジティブな想いはあっても、決してネガティブなものではないのだ、と気がつきました。
(不正等に使われるお金や、金で何でも解決できる的な傲慢な考えは、ここではスルーします。)
それなのに、なんとなーく不浄扱いされるお金君(いきなりの擬人化)なんだかかわいそう。
みんなの役に立ってるのにね。愛されたいよね。
なんだか、ふと、そんなことを思ったので、つらつらと書いてみました。
これからお金を稼いだり使ったりする時には、『愛』を意識してみようかな。
世の中を廻るものに、愛を乗せるの。
ちょっとワクワクしてきました。
なんだか色んなことに感謝の気持ちが湧いてきました。
気づかせてくれてありがとう。